日本シリーズ第5戦 -そのとき自分はなにを想う-

「落合監督に似てる。」

つい先日、そういわれた。
本人は「全然、似とらんて。」そう否定はしたが、どうやら表情からなにを思っているのかがわからない。というのがその理由らしい。
たしかに、そういわれてみれば自分でもそんな気がする。

昨夜もドラゴンズが王手をかけてドームは熱狂するファンで溢れていた。
帰り道、幾人ものファンに声を掛けられた。
自分の中でも「あとひとつ」という思いはあったし、昨夜の勝利がうれしくないはずはない。
だが、そんな気持ちとは裏腹に、「まだ日本一が決まったわけではないのに、なんで皆はこんなに盛り上がっているのだろう。」という冷めた目で人を見ている自分もいた。

自分では、自分を暗い人間ではない。と思っているし、飲み会などでは盛り上げ役に任命されるから、気心知れた仲間もそうは思っていないと思う。
だが、こと野球になると、ファンである自分とただ野球を冷静に観ている自分がいる。

昨夜の2-0から1点を返された場面。
無死1塁、打者金子に対して深めのポジショニングを取った平田に、森野は「前へ出ろ」という指示を出した。それがベンチからのものか、森野が個人的に出したものかはわからないが、結果は中越え適時打となった。
「ああ」というため息がドームを包む中、僕は「なぜ?」という別のことを考えていた。
そして綴ったブログの文字が「守備の乱れ」であった。

それは李炳圭の「好守」と呼ばれるものもそうだろう。
結果だけを見れば、よく捕った。と思う。
だが、上手い外野手なら、もっと速く落下点に入り、楽に捕球していただろう。
であれば、これもまた「守備の乱れ」である。

ひとにはそれぞれの楽しみ方がある。それはそれでいいし、否定する気は毛頭ない。
ばかりか、同じ価値観、同じ空間を共有したいと願っている。
だが、いままではもうひとりの自分がそれを許してくれなかった。

いま思えば、この感情は10.8から続いているように思う。
それまではナゴヤ球場で皆と同じ価値観と空間を共有してきた。
あれから13年。
何年かぶりにかかってきた知り合いからの「チケットあるよ」という突然の電話。
当時は敵の主砲だった落合監督と1球に一喜一憂していた自分。
あのときは同じ三塁側で1球を追いかけていたが、くしくも今夜は逆の一塁側で同じ1球を追いかけることになった。

今夜、もし落合監督の体が宙に舞ったとき、自分はなにを想うのだろうか。
皆と同じ価値観を共有できるだろうか?
あのときの悔しさから開放されるのだろうか?

まだ負けられることを思えば、あのときの1敗と重さはちがう。
だが、自分にとっての07年日本シリーズ第5戦は、勝負の厳しさを知ったあのときと同じ思いだ。

今夜、自分がなにを感じ、なにを想うか。
それはそのときになってみなければわからないとは思うが、いちばん尊敬する祖父がつけてくれた「喜」という名のように、心から喜べることを願っている。

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by kuunn_17 | 2007-11-01 15:23 | 中日ドラゴンズ

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